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自然の力

 自然の前には人間なんて取るに足りない存在なんですね。能登半島沖地震で改めて感じさせられました。台風、集中豪雨、そして地震と、このところ自然が猛威をふるっています。言われるように、傲慢な人類へのしっぺ返しなんでしょうか?

 自宅で大きなゆっくりとした横揺れを感じた時、突き上げるようなその次があるかと身構えてしまいました。そんな心配が杞憂に終わって、ほっとしてテレビをつけたところ、震源地近くの輪島市では「震度6強」というテロップが流れていました。その後のテレビでは、懸念した通りの被害が伝えられました。

 東海、東南海、南海地震の発生が声高に言われている今、私の住んでいる東海地方にも、いつ地震という自然の猛威が襲ってくるか分かりません。その時に備えるといっても、一旦揺れが始まると動けるようなものではないといいます。その時どこにいるかで運命が決まってしまいます。能登半島沖地震で亡くなった女性も、あと一秒、その行動が早いか遅ければ助かっていたかもしれません。それが運命と言われるものなんでしょうか。

 日本は地震列島といわれます。昨年、映画でリメイクされた小松左京氏の名作「日本沈没」というSF小説も絵空事と笑ってはいられません。赤色巨星となって太陽の寿命が尽きる時、地球は膨張した太陽に飲み込まれてなくなってしまうといわれますが、それは50億年も未来のこと。今を生きる私達にとって必要なことは、あした起きるかもしれない地震にどのように対応するか、どんな行動が取れるか、ではないでしょうか。震度3程度の揺れで動揺しているようでは、その何十倍、何百倍というエネルギーの前には多分、為す術もないでしょうね。まさに「運を天に任す」しかありません。

 自然の力は計り知れません。とてつもなくでっかいものです。でも、とても繊細なものでもあると思います。地震は太古の昔から繰り返されています。人類はそれに打ちのめされながらも、健気に立ち上がって生活を続けてきました。人類のおごりが多ければ、被害も当然の如く多くなります。何事にも謙虚な気持ちが大切なのではないでしょうか。

 今回の地震で改めて感じさせられた気がします。

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つれづれなるままに

本日よりブログを始めました!

つれづれなるままに、日暮らし硯に向かいて・・・!?ではなく、パソコンに向かって、心に映りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書き綴っていこうと思います。名付けて「ガスティ社長の独り言」。長~いお付き合い、どうぞよろしくお願いしまっす!!

 

 つれづれは「徒然」と書きます。意味は「どう時間をつぶすか苦しむこと」とか「することもなく、もの寂しい」ということらしいです。決して時間をもてあまして苦しんでいるのでも、もの寂しいなんて上品ぶっているわけでもないんですが、ようするにそんな雰囲気を味わってみたいといったところが本音でしょうか?よしなしごとを、折りにつけて季節に触れながら語っていきたいと思っています。

ところで、暖冬の後の「寒春」。先日の季節はずれの雪、いたずらな自然が一層、身に凍みました。でも、兼好法師は「いまひときは心も浮きたつものは、春の気色にこそあれ…」と書いています。鳥の鳴く声も一段と春らしくなり、のどかな日差しに垣根の草も芽を出す。春が次第に深くなると霞がたなびき、桜の花もだんだん咲きそうになり、せっかく咲いた花も、あいにくの雨風によって気ぜわしく散っていく。春は、いつの時代も何かにつけて「ただ気ばかりもめる」季節なんですね。

また、「友とするに悪きもの七あり」として、身分の高貴な人、若き人、身体強健な人、酒を好む人、武勇にはやる武士、虚言する人、欲深き人を、逆に「よき友三あり」と、物をくれる友人、医者、知恵のある友人を挙げています。はてさて自分は、あの人は…と考えると「ただ気ばかりもめる」ことがいっぱい!?かも。

昔あったものがいつの間にかなくなってしまっていることがよくあります。取り返すことが容易ならいいんですが、いったん失ったらそれっきりというものもいっぱいありますよね?何が必要で、何がいらないのか、じっくり考えてみる必要がありそうです。“何でもかんでも”では墓穴を掘るような気がします。というか墓穴を掘ってばかり…

身の回りを今一度見直してみると、いろいろ「気ばかりもめる」ことがいぃぃぃっぱい。ストレスをためないようにしないと!

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